貧困家庭の実態

増え続けている貧困家庭。仕方なく貧乏やっているのです。

うちは貧困家庭だったと気が付いた瞬間

      2016/07/14

貧困家庭で育ってきた20歳の女性は、
高校生になるくらいまで貧しいとは感じていませんでした。
貧しさというのは、他人と比べるまで
気が付かないものなのです。

我が家は貧困家庭だった

もしかしたら、うちの実家は貧困家庭だったのかもしれない
と大人になって思うことが多々あります。

小学生くらいの子供は、他の家庭のことを聞くまで
自分の家のことしか知りませんし、
それが常識だと思うものです。

たとえ世間から非常識と思われていても、
子供は知る由もないのです。

私が最初に違和感を感じたのは、高校生のときです。
友人たちと子供のときに食べたおやつの話をしていると、
10円や20円のチョコや、300円くらいの袋詰めの
クッキーを食べていた人が多かったのです。

ところが私は、片栗粉にお湯を入れて混ぜて、
砂糖をかけて食べていました。
これが思い出のおやつだったのです。

友人たちは、「それ美味しいの?」とか
「味が想像できない」などと言っていました。

このときまで他の家でもおやつは片栗粉に砂糖をまぶしたものを
食べているものだと思っていました。

もしかしてうちは貧困家庭なのかと
思った瞬間でした。

思い返してみれば、他にも思い当たる節はあります。

学校の制服やランドセルは、使い終わると
すぐになくなっていました。
母がオークションで売っていたのです。
女の子のものはすぐに売れるらしいので。

新品の洋服は買ってもらった事はなく、リサイクルショップで
買うか、オークションで落札したものでした。
母は中古のものを大切にすることがエコだと言っており、
エコの時代では当たり前の行動だと思っていました。

食材の買い物はいつも夜7時からで、
冷蔵庫には「半額シール」の貼ってある食材ばかりが
入っていました。
理由は夜7時を過ぎると半額になる食材が多く、
それを狙って買っていたからです。

母はこう話していました。

「捨てられるのは勿体ないから、仕方なく半額で買ってあげて
いるんだよ。」

極めつけは、高校3年生のときに、友達の家で初めて
コーラを飲んだときのことです。
こんなに爽快感のある飲み物があったのかと思いました。

実は、高3になるまで炭酸飲料を飲んだことがなかったのです。
存在は知っていましたが、母に骨が溶けると脅されていたので
飲んだことがありませんでした。

絶対にうちは貧困家庭だったと思います。

ただ、それほど貧乏だと感じずに成長してきました。
その理由は、母がいつも笑顔で明るかったから
だと思います。

お金がないと笑顔が消えていくものですが、
母が明るい性格だったおかげで、父も私も笑顔で
いることができました。

そのせいか、家族みんな元気だったし、
幸せな幼少期だったと思います。

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