貧困家庭の実態

増え続けている貧困家庭。仕方なく貧乏やっているのです。

食べるものさえない「貧困家庭」の実態

   

28歳、子供1人の専業主婦は、子供時代を貧困家庭で
過ごしました。
この苦労は自分の子供には味合わせなくないと言います。

ろくでなしの父親せいで貧困家庭で育ちました

父親の借金が原因で、私は貧困家庭で育ちました。

もともと仲が悪かった父と母は離婚し、
母が家を出ていったので、父と姉と私の3人で
暮らしていましたが、父は夜遊びが好きで、
あまり家には帰ってきませんでした。

当時、中学生の私と高校生の姉は、借金の取立ての人が
鳴らすチャイムの音と電話に怯えながら暮らしていました。

しかし、そんなことよりも問題だったのが、
父が帰ってこないために食べるものが家に何もない
状態だったことです。

最初の頃は、それまで貯めていた二人分のお年玉で
学校帰りに買い物をし、姉が簡単なご飯を
作ってくれていましたが、そんな僅かなお金なんて
すぐになくなります。

朝食もなく、晩御飯もない。
私は、お昼に食べる給食が唯一の食事でした。
その給食費さえ父は払ってくれないので、
何度も先生から「お父さんと連絡を取りたい」と
職員室に呼び出されたことを覚えています。

今のように携帯電話なんてある時代ではなかったので、
どこにいるのかわからない父と連絡をとるのは
困難でした。

先生に事情を話すと給食費の支払いを待ってくれましたが、
きっと先生が立て替えてくれていたのだと思います。

食べるものにも困りましたが、ほかにも困ったことが
ありました。それは、母が家を出て行く時に、
ほとんどの電化製品を持って行ったことです。

掃除機や炊飯器はなくてもなんとかなりました。
掃除はほうきでできますし、ご飯はガスコンロで
鍋を使って炊けばいいのですから。

無くて1番困った家電は、洗濯機でした。

夏のセーラー服を1枚しか持っていない私は、
家に帰ると洗面所でそのセーラー服を洗うのですが、
手で絞っただけでは次の日の朝までには乾きません。
アイロンもドライヤーもありませんから、
私は毎日のように生乾きのセーラー服で
学校へ通っていました。

その後、やせ細った私と姉を見るに見かねて
母方の祖母が引き取ってくれましたが、
貧困家庭で育ったために我慢をすることが
当たり前になったので、幸せだと思う基準が、
今でも他の人よりだいぶ低いと思います。

食べるものに好き嫌いなんてありません。
食べられるだけでありがたいのですから。

そして自分が母親になった今、改めて自分の親の
不甲斐なさを感じています。

貧しさの中にも親の愛情があれば子供は
ちゃんとまっすぐ育ちます。
今も、決して裕福な暮らしができているわけでは
ありませんが、自分の子供には私の子供時代のような
苦労を味合わせたくありません。

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